小梅忌

 

 昨日11月2日、文句なしの晴天のもと、小梅さんの130回目の祥月命日に多くの方が集い法要を執り行いました。 

 本年ご住職さまに教えて頂きましたのは、「七佛通戒偈(しちぶつつうかいのげ)」という偈です。画像でみていただけます四句の偈、その意は「悪いことをせず、善いことをし続けなさい。そうすることにより自らの心が浄くなる、それが諸仏の教え」だそうです。 自分も周りも幸せにする行いと祈りは日本古来の神道にも通じるとお話しくださいました。 

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 続いて辻副会長と中村会長より、本日の講師・小山譽城先生についてのご紹介をさせて頂きました。

 第一回の小梅忌を当会で行うようになったのは、小梅日記を楽しむ会発足の翌年の2008年。この年、和歌山城の天守閣で「川合小梅展」を開催し、関連イベントとして講演会を開きました。その折に故・安藤精一和歌山大学名誉教授とともに登壇していただいたのが小山先生でした。中村会長の同窓でもあられ、本日は多くの同窓生の方々も遠路ご参加くださいました。

 先生のご講演の冒頭、『小梅日記』がいかにすごい日記であるか、また川合小梅がいかに日常生活以外にも知的好奇心と鋭い観察眼を備えた、精神的に自立した女性であるかを話されました。 

 その川合小梅が生きた時代は、個性的な紀州藩第十代藩主の徳川治宝の時代。そこに至るまでの紀州藩成立時からのことを、先月のTV和歌山特別番組「南海の鎮」収録時のマル秘情報なども織り交ぜながら、ユーモラスに、またディープに、我々を楽しませてくださいました。 

 紀伊の徳川家は、江戸将軍家の存続のために、頼方(八代将軍・吉宗)、慶福(第十四代将軍・家茂)が紀州を出て行きます。その際、紀伊徳川家のために支藩であった伊予・西条の松平家から後継を連れてきます。治宝もそうした西条にルーツを持つ殿様で、それが後々の政変の遠因になっている、とのお話しを興味深く聴きました。付家老という特殊な存在の働きも、改めて面白く教えていただきました。

 余談ですが、数年前に道後温泉を旅した折、帰りの松山空港で愛媛県各地の物産展をしていました。西条市のブースで「和歌山から来ました。紀州藩の支藩でご縁がありますよね♪」と言ったら、大歓迎されてちょっとサービスしてもらったことを思い出しました。先生のお話しにあった景色を見に、西条市をぜひ訪れてみたいです。

 最後には「小梅日記」天保八年十一月二十六日の、治宝が従一位に叙せられたときの詳しい記述を紹介されました。この天保八年の日記は平凡社『小梅日記』には収録されておらず、『和歌山県史』の近世史料二 をご覧いただかなくてはなりません。ご興味のある方は、図書館でぜひご覧下さい。

 紀州の徳川家康の十男である徳川頼宣入国400年の今年、こうして治宝につながる紀州の歴史を楽しく教えていただき、一同大満足のご講演でした。

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 ただ今、和歌山市立博物館、和歌山県立博物館の共催で、特別展および関連講演会やイベントが順次開催中です。

気候もよいころですので、市内・県内はもちろん、遠方の方も、秋の紀州へお出かけ下さい。