2016年 小梅忌と秋のウォーク

 11月2日、妙宣寺にて小梅さんの128回目の年忌を執り行っていただきました。お位牌の横には雑賀紀光画伯がお描きになった、小梅像の複製が置かれています。画伯が昭和55年に描かれた想像図ともいえるものですが、小梅のご子孫に取材して描かれたそうで、きっと小梅さんはこのような面立ちだったろうと思います。小梅の筆塚がある和歌山市吉田の聖天宮法輪寺に奉納されているものです。

 ご法話では「自行」という言葉を教えていただきました。修行僧の厳しい一日は、自分を振り返り懺悔をすることからはじまるそうです。我々も神仏の前でお願い事をする前に我が身を振り返ることから始めよう、他人さまに不平不満を言う前に、自分に反省すべき点ははないか自問しよう、という心持ちになりました。

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 11月8日は、あいにくの雨空になり、秋のウォークですが歩くのは断念、室内にて開催しました。

 まず「藩校の歩み」と題して井上さんから解説がありました。小梅の家は祖父の代から学者であり教育者と言えますが、夫の梅所が後に督学となる「学習館」という名前は、第10代藩主・治宝(はるとみ)の命名だそうです。寄合橋と伝法橋近くの現在の南方酒造の敷地角に「藩校跡」の標識があります。ここには今年将軍就任300年で注目の徳川吉宗が一時期住んでいた湊御屋敷があり、第五代紀州藩主当時の吉宗自身がこの場所に学問所を設置したのだそうです。今日はみなさまにその場所を見ていただく予定でしたのに、ほんとうに残念。

 続いて、語り部さんの中島さんから図版(『城下町の風景』から)を示しながら話していただきました。歩くはずだった市堀川(内川)沿いは、お城の中と商業地との境目、北岸はかつて米倉が並んでおり、たいへん賑わったところです。南のお城の側は土塁が築かれていたそうで、今でもよく見ると北と南で高さが違っているそうです。

 またこのコースは、絵本『小梅さんの日記』P.17~19で取り上げた、小梅の遠足コースです。安政六年春、舟に乗って荒浜まで潮干がりに出かける中村会長一押しの一日ですが、その舟に同乗した女性は素玉という号を持つ絵描きで、ウォークの最終目的地の市立博物館に今、彼女の絵も展示されているのです。絵本や東洋文庫の『小梅日記』をお持ちの方は、是非該当ページを読み直して下さいね。私はいつも、素玉に対する小梅のちょっとしたライバル心が出ているように感じて、面白いなあと思います。

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 車移動になってしまいましたが、市立博物館に急ぎます。松たか子そっくりの山下奈津子学芸員が、コーナー展示「川合小梅をめぐる人々」と特別展「城下町和歌山の絵師たち」で展示されている小梅と梅所、師匠の野際白雪らの作品を解説して下さいました。前期と後期で展示替えがあったのですが、この日初公開の川合小梅「人形つかい図」を観ることができました。前期展示されていた「観梅円窓美人図」は観られなくなるのかな、と思っていましたら、ちゃんと1階のコーナー展示に移動され、この立派な2作品ともに観られる今、オススメです!「一緒に潮干がりに行った素玉」の画、どこにあるのかどうぞ博物館に出かけて探してみて下さいね。2階特別展の会期は11月27日(日)まで。1階のコーナー展示は12月4日まで。月曜日と11月24日(木)は休館です。

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