小梅さんゆかりの地を歩こう in 和歌山城!

 

<ニュース> 4月23日発売!

『小梅さんの日記』で一緒に仕事をした芝田浩子さん、待望の『城下町の風景Ⅱ』が出版されました!!

 p.49にはなんと「川合小梅生誕地」との額田雅裕先生のコラムも♪ 日記に登場するほんとにたくさんの場所がでてきますよ。本屋さんにGO!

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 暑くもなく寒くもなく。最高のお天気に恵まれて、35名の善男善女、春のウォークに出発です。 

 今回は『小梅日記』に登場する和歌山城内外の記述をテーマごとに抜き出し紹介しながら、小梅さんと夫の川合豹蔵さんの姿を追っていきました。

 一の橋にて新緑に垣間見える天守を眺めながら、天守閣の歴史を振り返ります。弘化三年の落雷によって焼失した天守の再建を、ちょうど小梅さんは体験しているのでした。中村会長が日記に出てくる上棟式の模様などを、『小梅日記』からの抜き書き資料を示しながら説明します。また東洋文庫版の『小梅日記』以外にも、和歌山県史の資料編に弘化五年(嘉永元年)の日記が収録されています。そこにも天守閣に関する記述が出ていることがわかります。

 熊本では立派なお城が震災でたいへんなことになっており、それにも増して被災者の方々のご苦労を思わずにはいられません。早い復興をと願いつつ、穏やかな日々の有り難さが身にしみます。 

 次の説明場所・二の丸 表に移動します。巨大なクスノキの目にしみる緑、ツツジは言うまでもなく、藤、牡丹も見事です。てんてんてまりのマンホールのふた♪

 二の丸は「主人登城」と小梅が日記に記した日に豹蔵さんが出勤して仕事をした場所だろうと思われます。その仕事ぶりを“御機嫌伺い” “願書提出” その他、人事、御前講義や文書の編纂など、テーマごとに日記からピックアップした労作が中村会長から披露されます。お城でどのような仕事をしていたかが徐々に明らかになってきました! 大切な御用の前にはお風呂に入ったり、返事の必要な事柄には小梅が代筆することもあったなども紹介されました。

 中島副会長からは、ここにあった二の丸の建物がたいへん立派で、何百人もの藩士が仕事をしていて城内で最も重要な場所であったこと、後に大阪城の脇に持って行かれてしまい「紀州御殿」と呼ばれていたが、GHQの将校の失火により焼けてしまってたいへん残念だということなど、資料写真を示しながら説明されました。

 御橋廊下を眺めながら、追廻門に向かいます。

 追廻門外には、『小梅日記』の政治・経済面にめっぽう強い井上さんが待っています。

 この門の外すぐに「田中善蔵尽忠之碑」があります。様々な重大事件が起こった慶應三年、ここで田中善蔵という藩士が暗殺されました。

 川合家、田中家、そして善蔵の妻となる女性の実家・岩橋家の、いわゆる呑み友達に端を発する親しい付き合いが紹介されます。経済危機を打開するための田中善蔵の斬新な改革案と既存の勢力との軋轢、そして受難に至る経緯を、臨場感たっぷりに説明されました。

 明治18年に友人達の発起で建立された地・秋葉山から、昭和44年になってこの事件の場所に移設されたそうです。

 続いて不明門西にそびえる高石垣に向かいます。徳川頼宣が築いたこの石垣は、約24メートルの高さを誇り、当時のままの威容を見せてくれています。中島さんによると「追廻門からここに至る石垣は全て当時のままで、もしもその前の建物などが目に入らなければ「城は石垣」、その上に見える天守とともにどんなに素晴らしい眺望だろう」と。

 高石垣・不明門から岡口門に向かう左側には、つつじ園が最高の状態! 小梅のテーマカラーの濃いピンクに染まります。

 岡口門の前広場で中村会長から解説です。道路を隔てた南側には岡公園、その奥には弁財天山(通称:天妃山)。山上には西南戦争他、明治になって起きた四つの戦いで犠牲になった和歌山県出身の兵士を偲ぶ「四役戦亡記念碑」があります。

 「小梅日記」にはこれらの戦について記述が多く出てきます。また小梅自身がここを訪れ、帰路には高石垣から人力車を使ったこともちゃんと記されているそうです。

 ウォークはここがゴールです。

少し東に歩いて岡口門を振り返ると、天守閣がその上に見え絶景!

ご参加のみなさま、有難うございました。 

そしてこのサイト上で一緒に歩いて下さったみなさまも、有難うございました。

またの機会に、是非お越し下さい。

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4月例会はお休みです。

次回例会は5月25日(水) 13:30~ 

 NPOボランティアサロン(フォルテワジマ6F) 

 

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コメント: 5
  • #1

    芝田浩子 (水曜日, 20 4月 2016 15:43)

    出先から帰る日で参加できずに残念です。青空の下、和歌山城のウォークは気持ち良さそうですね。

  • #2

    芝田浩子 (水曜日, 20 4月 2016 15:53)

    もうひとつ、田原坂に行った時、全国のここでの戦没者の名前が刻まれており、和歌山出身者の方も多く亡くなられた事を知りました。天妃山には登った事もあり、碑が立っているけれど、四役戦亡記念碑とは初めて知りました。

  • #3

    スタッフ・山上 (水曜日, 20 4月 2016 15:55)

    芝田さん、さっそくコメント有難うございます♪ 
    ほんと、最高のコンディションでした。
    また来てね♪

  • #4

    山上 つづき (水曜日, 20 4月 2016 15:56)

    天妃山のことは、「和歌山県立文書館だより」の第42号を参考に配らせていただきました。是非文書館でもらってくださいね。

  • #5

    シバタヒロコ (金曜日, 27 5月 2016 06:16)

    ありがとう!
    文書館行ってきます(*^^*)