第六回雛祭り 2015

 今年も正住寺にて小梅さんの「立雛図」を前に、皆で集うことができました。室町時代から続くこの名刹にお生まれになり、昨年11月5日に第三十代を継承されたお若い中井ご住職による法要と法話で始まりました。

 昨秋亡くなった会創設時のメンバー・道澤康裕さんのための法要も合わせて行ってくださいました。「小梅日記」を読んで正住寺におられた日導上人と小梅さんの交流に注目された道澤さんが平成19年に初めてお寺を訪ねた時にご住職は応対されたとのこと。私たちにも馴染みのあるリュックを背負ってひょっこり顔を出す道澤さんのご様子を、昨日のことのように語ってくださいました。

 先代=お父様を「師父(しふ)」と呼ばれ、「先人・先達を倣いまた倣われて、人生が豊かで実りのあるものに」というご住職のお言葉に、小梅さんはもちろん、道澤さんほか、「小梅日記」へと誘ってくれた方々のことが頭をよぎります 毎年私たちを迎えてくれるこの「立雛図」は、道澤さんが入手され奉納されたものです。これからも会のことを見守ってくださることでしょう。

 進行役の辻康子さんのご案内で、中村会長による「人とのつながり」のお話です。今回は「小梅日記」に出てくる人物についての話を二件紹介されました。

 一人目は小梅の親しい友人「馬継の常野」。常野と、父・酒井省安、兄・酒井梅斉の名は、日記にたくさん出てきますが、会長による記事の抜き出しと和歌山市内在住のご子孫のお話から、その関係がさらに詳しく判ってきました。絵本『小梅さんの日記』の「馬かけ」は、この友人宅に孫とともに宿泊した話です。二人目は小梅の絵の弟子「中出巳喜代」。中村会長の高校・大学の先輩に絵本を差し上げたところ、「「展覧会出品」の項に出てくる巳喜代は自分の祖母である」と知らせてくださったそうです。日記に登場する人のご子孫が今に繋がっていることは、「小梅日記」を読む楽しみであり魅力ひとつであると締め括られました。

 休憩の後は井上泰夫さんの「和歌山県の誕生」です。紀ノ川の流れの変化とともに民も神も為政者の勢力図も変化してきた様をご説明くださいました。和歌山という名が成立する過程のお話では、古代「弱」を「わか(若)として用いていたことに驚きました。海砂・川砂でできた脆い、また若い土地というニュアンスでは、とのことでした。「和歌山」が登場するのは戦国の世で、しかし江戸時代は「若山」と「和歌山」が併用され、明治になって「和歌山」と定着したそうです。また「藩」といういい方は広く使われていたわけではなく、大名領を「藩」と正式に呼んだのはわずか4年間だったそうです。廃藩置県によって明治四年には名実ともに「和歌山県」が誕生したといえそうですが、その変化を小梅さんはどう見ていたのでしょうか。

 最後は場所を移しての茶話会です。今日は平凡社・東洋文庫『小梅日記』発刊のきっかけを作られた、元・新聞記者の渡辺圭司さんご夫妻もご参加くださいました。新人で赴任された和歌山で志賀さんと出会い、東京大学史料編纂所へ「小梅日記」を持ち込んだお話などをおもしろく語ってくださいました。志賀裕春さんは『小梅日記』のあとがきに渡辺さんのお名前を記して感謝を述べられておられますが、志賀さんとの逸話など、またの機会に是非ご披露いただきたいと思います。

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 3月例会は3月25日(水) 

 13:30~ NPOボランティアサロン(フォルテワジマ6F) です。

 総会も行いますので、会員の皆様ぜひご参加ください。