「小梅日記を楽しむ会」の成り立ちを支えた隠れた一功労者 道澤康裕氏を悼む     


 和歌山をこよなく愛し、それを「かたち」に表した道澤康裕氏が、平成26年10月6日闘病中であったが、ついに73歳の生涯を閉じられた。

 私は、平成19年の春、城下町和歌山の通称「鷺の森」南海電車和歌山市駅の前を「雑賀孫市まつり」の行列が通ると聞いて、神戸から里帰りもかねて出かけた。そこで友人から偶然に彼を紹介された。長身で、登山帽をかぶり肩にリュックサックを担いで、何となく親しさのあふれる風貌は忘れられない。京都住まいと聞く。初めて交わした話の中で、和歌山大学の学生の頃、下宿のおばさんが親にも勝る優しさで面倒を見てくれたが、和歌山はほんとうに良いところだった、これからは「和歌山」のために一肌脱いで、そのときのご恩返しをさせていただきたい、と言われたように思う。

 和歌山の城下町には、幕末から明治維新の世情混乱期に、男性に伍して、対等にたくましく生きた一女性が居たこと、その女性が書いていた日記が研究に値すること、それを「和歌山城下町絵図」をベースに、新しい見方、切り口により、和歌山の町中を、自分の足で歩いて、自分の目で確かめるいわゆる「小梅ワールド」を楽しむような「集い」を造り上げたらどうかと考えている、とのことであった。小梅さんと一緒に城下町を巡れば、町は点から線へ、そして面へと、いわば立体地図を見るようになり、ひいては住んで楽しい、興味が尽きない町が再発見され、和歌山への愛着が一層高まればよいと願っているとのことであった。藤沢周平の海坂藩のような川合小梅さんの「和歌山藩の立体地図」を作ることが目的だと言っていたことを思い出す。私は、和歌山に育ちながら「小梅さん」をはじめて知った

 小梅さんの世話人会があった後、和歌山から南海電車経由で京都に帰る途中、和歌山市駅の縄のれんに付き合いしたが、その時、彼はかつて学んだ和歌山大学の建学精神「培其根(そのねをつちかう)」を視野に入れ、江戸の美学と上方文化を知り、自らが尊敬する和歌山大学名誉教授 安藤精一氏の研究の足跡などを辿ることも忘れず、数年を過ごすつもりを語った。

 語り尽くせないが、彼はまさに猪突猛進、事に当たって実践を旨とした。和歌山市内には、彼の足跡が残っている。地元の人々は彼を惜しんでいるだろう。謹んで哀悼の意を表する。

            平成26年10月22日  記 

             神戸にて 南方希弌 (わかやま応援団) 

☆次の例会は11月26日(水)、フォルテワジマ6F 13:30~です。

 井上泰夫さんによる「幕末 紀州藩の海防政策」(仮)を予定しています。